タカムラー的読書術
2012.01.11 Wednesday 23:52 | 日記 > 読書

リヴィエラを撃て!/高村薫
読み終わった。
本当ならクリスマス頃には読み終わっていたかったのだけど、暴れん坊3歳児のお母さんをしながら、自分に許された1日30分~1時間の自由時間の中での読書では、年を越してしまったのは仕方ない。しかし細切れに読むミステリー小説ってなんの拷問よ?w
と思いつつ、2週目に入ってる・・・重度だ・・・
ちなみにこの本、通して読むのはたぶん5回か、10回か、まぁそんな感じ。
毎年12月頃になると取り出し、クリスマス頃には読了する。年の瀬が迫ってくると『神の火』に取りかかり、『李歐』とともに春を迎え、『照柿』を読みながら夏を耐え、『マークスの山』を読みながら本格的な冬が来るのを待つ。そして『リヴィエラ』に戻り・・・
母親というものになるまでは、毎年そんなふうだった。もう10年ぐらい?
どんだけ高村薫オタクなんだ。
そしてそんな高村オタクを自認する私だけど、『リヴィエラ』だけは単行本を持ってない。文庫本しか持ってない。これは非常にゆゆしき自体ではある。高村女史は文庫化するときに大量改筆することで知られているので、単行本と文庫本ではまったく別の本になっちゃってる、ということが常識だ。信者はそのたびに大量のお布施を強いられるわけだがw 『神の火』なんて幻の初版を持ってるんだぜ(分かる人だけに分かる自慢w)。これを手に入れるためにどれだけ努力したか・・・
『リヴィエラ』もぜひ単行本を手に入れたいところだけど、あいにく新品で売っているような代物ではない。ブックオフに行く時間すらない。そもそも北海道のブックオフで入手できる可能性は限りなく低いと思うんだ・・・比較的少ない人口が広大な大地に散らばってるから、古本屋の品揃えは非常に乏しい(あくまで私視点)。目的にものに巡り会うまでどれだけ時間が必要か。まぁ、老後の楽しみにとっておこう。気は長く。
さて、機を逸してしまった『神の火』を飛ばすとすると、次は『李歐』、そして『照柿』。
しかし、北海道の春には『李歐』は似合わないんだよな。
あの、脳みそが浮き立ってふんわり浮かんでいくような春ではない。圧倒されるような、吸い込まれるような桜もない。内地育ちの私には「えらく風が強くて冷たくて、でも植物たちは一斉に芽吹いてる。これは冬なんだか春なんだか・・・はて。」そんな感じ。
夏も同じく。
頭まで熱湯につかったまま呻くような暑さがない。湿気がない。まとわりつく不快感がない。当然、『照柿』はまったく似合わない。
「日差しは強いけど、ゴールデンウィークぐらいの気温?」内地育ちの私にはそう感じられる。汗ひとつかかないまま7月が過ぎ、お盆頃に「もしかしたらちょっと暑いのかも?」と感じられる日が1週間ぐらい続いたと思ってたら、いつの間にかだんだん雨の日が増えてきて、一雨ごとに気温が下がり、雨の音が聞こえなくなるころには白銀の世界だ。
というわけで北海道に来て以来、『李歐』と『照柿』は手をつけていない。そんな気分になれないというか。
うーん、春と夏はなにを読もう。

マシアス・ギリの失脚/池澤夏樹
なんかいいかもしれない。
日差しは強くて、でも湿度が快適で、この世界観に似合うかも。
秋は・・・『静かな大地/池澤夏樹』実はこの本、池澤氏がパリから帰国して札幌に居を構えたと聞いて、「万が一、どこかで氏に遭遇したときサインをもらうため」常にカバンに携帯しているw
万に一つもないチャンスだろうけど。
アホかもしれないが、池澤夏樹オタクとしては、万全の準備を整えておきたい。
春が思いつかないな・・・
この際、江國香織に帰るとか?
最近のはうっとうしさが鼻について読む気にならないけど、『きらきらひかる』、『ホリーガーデン』あたりまでは良かった。そのあたりで本棚を物色してみるか。
しかし、春をつなぐまでの『神の火』にとりかかるには時機を逸してしまったように思う。私の中では年の瀬から読み始めないと気分が乗らない。
仕方ないから春が来るまで、積ん読してあった『げんしけん』と『ハルヒ』と『P.コーンウェル』の新作に手をつけるか。(どういう取り合わせなんだ)
しかし北海道で読む『リヴィエラ』は格別でした。西ベルファストの空気が近いような気がした。行ったことないけど。

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